【凡庸と冷血】優しさか?冷たさか?あなたは何を望むのか???
参考記事:共感力と冷酷さは両立しない。「凡庸でやさしい男」か「有能でも冷たい男」かの選択【橘玲の日々刻々】|橘玲の日々刻々 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
本日は久しぶりにこちらの参考記事から着想を得た記事となっておりまして、お題としては"凡庸"と"冷血"!!
具体的に例えるのであれば、会社員に居続ける人たちというのは、家族や友人や会社の先輩や同僚や後輩などのそういった人たちのことを考え現状維持の選択をする。
それに対して、個人事業主や経営者の人たちは、すべての人がそうとは言いませんが、家族や友人や会社の従業員のことを心の底から一人一人に向き合っていては精神がいくら強くても、精神崩壊することとなるでしょう。
なので、会社員は"凡庸"なひとが多く存在しており…
逆に経営者などは"冷血"なひとが多く存在しています。
今回はそんな違いについて考えていく内容となります。
ぜひ貴方なりのライフプランニングにお役立て下さい。
【凡庸と冷血】24時間の時間を何に使うのか??
すべての人が時間というフィクションのなかで生きる。
なぜ時間のなかを生きるのかというと、"目安"が無いと予定を立てたり振り返りをしたりが出来ないからです。
人びととは、企業で経済を協力して支え合っているので、それを時間という目安で把握しあい計画を立てる。
そんな世の中ですから人びとは24時間の中で生きる。
それでは凡庸な人にとっての24時間と、冷血な人にとってのら24時間の違いとはどこにあるのでしょうか?
きっとそれは、その24時間の分配のなかにあります!
会社員で凡庸な日々を過ごしている人の1日(24時間)とは、きっと朝ギリギリに起きて、足早に出社をして、それから同僚や上司や部下とコミュニケーションを取りながら調和を保ちつつも1日の中での役割をこなします。
役割をこなしながらのルールの中で生活をして、尚且つ調和を保つというのはとてもストレスフルですから、ストレス発散の時も必要となってきますので退勤後は飲み屋にいってアルコールや異性に癒される日々でしょう。
そしてまた明日も「協調性」と「役割分担」と「ストレスフル」のなかで日々を過ごしていくのだと思います。
このルールのなかで生きる生き方だと、恐らく経営者や個人事業主には決してなることは難しいでしょうね!!
理由はシンプルで、24時間を「協調」や「役割」や「ストレス」というものと向き合う為に使うからです。
それはきっと仕事もプライベートもそうなるはずです。
一方で個人事業主や経営者はまったく真逆でしょう!!
1日を大きくわけると「自己投資」と「目標達成」へと時間を上手いこと割り振りながら過ごすことでしょう。
自分のなかで、在りたい姿をイメージして、そのゴールから逆算して今すべきことを考えながら歩みますね!!
なので良くも悪くも「逆算とは無関係なモノを嫌う」ので、会社の「無駄な政治」や「非生産的な業務」や「ストレス」などを嫌う人が圧倒的に多いと私は思います。
すべてが「想いのため」になりますから、1日(24時間)の扱いかたは慎重に行うでしょうし、時間を大切にして意味のある毎日を自分のために、そして成し遂げたい善良のために全力で行動をとっていくことでしょうね!!
なので凡庸な会社員が個人事業主や経営者になるには、「冷血さ」を持つことができるのか?が非常に大きな壁となってくるでしょうし、それと同時に「孤独」も必要になるので、個人的にはそこの壁がデカいと思います。
【凡庸と冷血】優しさは表層的?核心的?何なの?
私としては「凡庸」な人も「冷血」な人も優しいです。
ただ、その優しさが「表層的」か「核心的」かの違いがあると私は考えていて、それは人それぞれあると思う。
まず凡庸な会社員は「上っ面な優しさ」を持ってます。
これは決して悪い意味ではなくて、毎日のたわいのない雑談に付き合ってくれたり、呑みに誘ってくれたり、恋愛相談にのってくれたり、仕事の相談にのってくれたり、責任を一緒に被ってくれたりなどの優しさがある。
しかし、それはあくまでも「会社内」での話で、その外側の全世界に対しての優しさを持っているかは微妙で…
環境問題や人種差別や格差問題など、ほかにも色々な問題から目を背けていることにもなってしまうかもしれませんから「上っ面な優しさ」とも言えるかもしれない。
一方で冷血な個人事業主や経営者は、自分の人生で善良な行いの為に時間を使いますから、会社員からすれば冷血で冷たい印象を与えがちですが、その時間を環境問題や人種差別や格差問題などの解決に時間投下してます。
確かに「冷たい」と見えるかもしれませんが、核心的な部分で「使命感」とも言える「優しさ」を持ってます。
お互いが相容れない違いがあるわけではあるのですが、どっちが正しくて、どっちが間違っているとかはなく。
そこにあるのは恐らく「考え方の違い」でしかない!!
なので、もうどっちがと言う論争自体を辞めましょう。
【凡庸と冷血】全てを兼ね備えた人間などいない。
よく女性は「年収1千万のイクメン」という家族も仕事も両立できる男性を求めますが、それは無理な話です。
同じく男性は「可愛くて家事育児も出来る妻」という美貌と家庭を両立する女性を求めますが、無理な話です。
世の中にはごく稀の「天才」「秀才」を除いて、殆どの人が「凡庸」か「冷血」かを選択することになります。
24時間で成し遂げられる成果にもある程度の限界値があり、それを超えることは出来ないので、圧倒的な時間投下を行った活動での、圧倒的な成果を作るしかない。
なので現実の世界では男性ならば、「凡庸で低年収だけど家族想いの旦那」か「冷血で家族想いではないのだけど高年収な旦那」のどちらかを選ぶことが殆どですね。
お金持ちな男性は「仕事が好き」である場合が多いし、多くの場合は自分の事業や自分の役割に全力なのです。
逆に「家族が好き」である場合は、そこそこに仕事を切り上げて家族と過ごしたいので、仕事には没頭しない。
女性の場合も「美しくないけれど家事育児が得意な嫁」か「美しいけど家事育児は出来ない嫁」となるでしょうし、こちらも同様に両立した方は殆ど居ないでしょう。
なので、同じように「経営者」「個人事業主」の弱点を重箱の隅をつつくように指摘したとしても無意味です。
お互いにすべてのひとが「凡庸」による利点と欠点、或いは「冷血」による利点と欠点、またはそれぞれのハイブリッドな状態での利点と欠点をもっているわけです。
なので「理想の異性」を探すのも良いですが、どこかしらは折り合いを付けてお互いの利点や欠点を含めて「好きになる」ことが職場でも取引先でも恋愛でも必要!!
貴方が完璧ではないように相手も完璧ではありません。
それを理解して生きた方が生きやすいと思いますよ!!
【凡庸と冷血】欠点を責め合うのではなく補い合う
もちろん許容できる範囲のレベル感は人それぞれあると思いますから、無理でストレスを感じるレベルなら関係を絶ったほうが精神衛生上良いのでオススメはします。
しかし、仕事でも恋愛でも家庭でもある程度「良い部分と悪い部分」を「個性」として捉えて進むべきです!!
これは私が思うに「サイコパス」であっても怖がるという反応がおかしな反応だと思って、サイコパスにも利点と欠点があり、それを理解して付き合うべきでしょう。
また、LGBTQなどの多様性に関しても「違和感」として相手を見るのではなく「個性」として話すべきです。
また相容れない価値観の人たちを混ぜるのも辞めた方が良いと私は思っていて、Twitterがまさにそうですが…
ただの"誹謗中傷したい人たち"と"真面目に議論したい人たち"と"何となく情報を得たい人たち"と"影響力が欲しくて発信している人たち"等が入り交じっています。
結果として、「カオス状態」となり、すぐに炎上したりすぐに誹謗中傷したり、住所特定したり、晒されたり、ネタ素材にされたり、拡散されたり、模倣されたりと…
本当にしたい会話が出来ない状況下となっていて、それはそれでTwitter社の個性なのでそれはそれなのですが
世の中には「会社」という空間で「安い人件費」で「テキトーなハケン」で会社の雰囲気を害するケースなど…
適当に人件費をケチって、さらに状況を悪くするような
「目先の金しか見ていない」経営者が非常に多いです。
これは会社員にも言える話で、「目先の給与しか見えていない」会社員ももちろん多くて勉強をしませんよね…
そうやって「目先の」人や物や金や情報に踊らされているのが現状の日本の国民だと私は思いますし、だからこそ「グローバル」とか「テクノロジー」とかを長期視点で見て考えて成長することをして来なかったのです!!
また、そういう情報に踊らされて「LGBTQ」に分類する人たちを誹謗中傷したり差別したり、サイコパスを「題材」として面白おかしく脚色して演出したりなど…
そういった「情報→差別/誹謗中傷」を、この数十年間「ネットやリアル」出続けている愚かな国民だと思う。
そんな醜い国民が多い時代だからこそ「地頭で考えて」生きる必要がある時代でしょうし「欠点を責め合うのではなく補い合う」人になる必要があると思います!!!
以前も話しましたが「多数派ゲーム」はもう辞めて良い状況環境段階に令和時代はなってきつつあります!!!
ぜひ「アナタ色」の人生を思う存分にお過ごし下さい!
ではまた…