【資本の外側】幸せはお金の外の世界にある【燃えろ】
人生の成功はお金では手に入らない。
そんな言葉は毎月毎年もう聞き飽きたんだ…
ただ、確かにお金の外の世界に幸せってのはある。
資本主義・資本の世界ではお金で幸せになれる”前提”
それは確かに合理的でわかりやすい数値化されているのでそれが幸せに必要であると言われている様に思える。
また、お金で買えるものやサービスなどの
- 高級な嗜好品で浪費する
- マイホームで幸せになれる
- 高級車で週末にディナーを
- 結婚して豪華な式を豪勢に
などを夢目標として世間で設定されてきた。
しかし本当の幸せはそれらの外にあるはずだ。
100円の缶コーヒーでも幸せになれるし
ボロアパートでもステキな夢を追えるのだ。
ハイエースでも高級車とできる事は同じだし
結婚だって式あげなくても幸せな夫婦になれる。
そんな幸せについて今回考えていきます!!!!
【幸せ】お金より好きなことする方が幸せ
私は好きなことして生きるのが楽しい!!!!
文字起こししてみると当たり前だと思うのだが…
現実では多くの人が9時間拘束8時間労働、週5日勤務で好きでもない社長の下で指示に従い好きでもない人達と好きでもない仕事をしている場合がかなり多いと思う。
もちろんそれには自分に問題がある場合も多いがそんな生活で得たお金だけしかない生活が楽しいだろうか??
答えはNOだが、資本主義経済において会社に勤めて、毎月お給料を稼ぐことが正しいと思わされがちだ。
確かにネットが普及する前の時代においては資本主義に関して学びたくても難しい書籍では学びにくかった。
それに情報が少なかったので偏った結論になりやすかったので平成以前の人達が現状勤めるのは理解できる。
ただ、今はスマホが全盛期で今後もスマホの次なるデバイスや5GやIoTの時代になるのでその心配はなくなる。
その時代ではお金をかけなくても遊べる時代がかなり広がってくるだろうしエンタメの世界も広がるだろう。
その時代では楽しみながら好きなことで生きる(稼げる)ようになるのだ、高望みしなければ死なない程度に。
【高望みしない】そうすればきっと満たされる
これは蟹穴主義でも話しました高望みしない!!
もちろん経営者的な視点を私は持っているし、ビジネス的に資本主義経済的にものを高く買ってほしいと思う。
少ない商品で多くの利益を出したいのも当然わかる。
でも高度経済成長期は終わり、みんな車も時計も冷蔵庫もパソコンもスマホも何でも簡単に手に入るのだ。
だから高い金額で売れなくなり、安く売り続けた結果としてデフレーションな今の日本になったのだと思う。
それにもっともっと昨対比よりもっともっと…
といった上層部からの圧力では楽しく働けるはずがないし、もちろん人件費がかかるから気持ちはわかるが…
経営者が無理して、従業員に無理させて、消費者がそんな経営者が作るものを従業員に嫌々売らさせているのが
消費者にとって良い状況とは言えないのではないか?
私も1消費者なので買い物を消費や浪費も多少なりともするが、そんな状況もあり楽しそうに商売をしていない様に客観的に働いている従業員をみて思う事が多い。
もちろん会社は変わってくれないし、経営者も変わってくれないし、資本主義経済がひっくり返ることはない。
でもネット→スマホ→next(5GとIoTと次世代デバイス)
これらを駆使すれば自分のポジションくらいは変えれる
前提としては高望みしないことが大切で年収300万円くらいで満たされる様な生活を目標とすれば問題ない。
副業で1案件1万円くらいの仕事を月に30本くらいできれば月に30万円くらい稼げるので年収300万円は可能
税金を差し引くと手取りは減るだろうが、それは会社員の時代においても社保や年金や源泉徴収などもあった。
別に会社員のままでもそこが楽しいと思えるのであればいっこうに構わないし高望みせずに300万を目指そう。
個人的には週5日は働き過ぎだと私は思うし、生産性の悪さがやば過ぎると思うのだがそれは各々考えて下さい
【不幸せ】それは他者と比べる限りなくならない
私は正直子どもの頃は最初は豊かでしたが、祖父の多額の借金が発覚して以降は父方の兄弟で手分けして借金の返済が始まりましたから小学生の頃には貧乏になった。
子供心に“落ちる”という経験を早期の段階で受けることになりましたからとても辛いイジメも味わいました。
私が結論として思うのは、変化が大きく出ると人はそこに群がってあーでもないこーでもないと論じたい生き物
と私はこの人生を通して思っています!!!!
- 会社員が独立して1千万以上稼ぐいでソレを叩く!
- 有名な人が不祥事を起こしてソレを楽しんで叩く!
- 会社が不正をしてそれを全力で潰そうとして叩く!
- テック系の企業が億稼げる様になり妬んで、叩く!
反対の事象も然り、恋愛も然り、家庭も然りだと思う。
要は自分が経験した事が無い不幸を楽しんだり、自分が手にした事がない富などを妬んで僻んで叩く生き物。
戦争の時も自分の富の為に集団でイジメを正当化し、戦争が無くても貴族と奴隷で格差を作り上が下を叩く。
それが人間という生き物の本質的な動物的な部分なのだと私は思うしそれは人類が存在する限りなくならない。
仮にそれをなくすとするならば“感情”をなくすしか無い
だから現代の日本は戦争も無く経済的にもGDP3位なのにもかかわらず不幸な病んでる国と呼ばれるのもわかる
「要は感情を殺して思考停止させるのもある種正しい」
感情を表に出さなければ自己犠牲で、後は特にいざこざに巻き込まれる事も少ないし、問題も起こりにくい。
ただ、自己犠牲の果てに自殺があとをたたない…
という側面も正直てしまい自己犠牲のダメージはしっかりと日本人を蝕んで歪んだ精神状況を作り出している。
これら全てにおいて資本主義経済のお金の数値化が幸せと不幸せの比較(比べる行為)に直結していると思う。
だから私が現段階で答えを出すとするならば
「人と比べるな!自分で自分を評価し成長しよう!」
ということになるのでは無いかと今の私は思う。
【比べない生き方】学校や会社に居ないわたし。
私はこれを“生存戦略”と呼ぶことにしている!!
学校でイジメられ、会社でも生きづらさを感じた。
そんな私がとった答えは非常に簡単なモノだった。
これは結果論としてのお話になるのは理解して欲しい。
私は学生時代最低限の投稿日数しか中学生以降は行っていないし、会社に関しても5年間で限界を感じ個人事業主に転身したという結果が残っているのである。
でも仮に私が無理をして学校に行っていたらきっと苦し過ぎて自殺をしていたし、会社だってブラックな企業や苦手な協調性を無理やり行っていれば自殺していた。
私を弱い人間だと比較していう人もたくさんいるし、いるだろうが、弱いことが悪いことなのだろうか???
例えば赤ん坊を捕まえてきて弱いという人はいるか?
犬や猫を捕まえてきて弱いという人はいるのだろうか?
もちろん少数はいるだろうし、動物虐待や育児放棄をする人がいるのでいるのは事実だろうがそれは悪くない。
弱いなりに生き方を模索して生存戦略をとるのが弱いサイドの人間の勝ち方と言えるのではないだろうか???
経営者の正解でも
- 飽和した市場での勝ち方
- ニッチな市場での勝ち方
などの弱いなり強いなりの戦略勝ち方がある。
人生においても得意不得意があるわけだから、それに適した勝ち方を自分の頭で考えて実行すべきだと思う。
確かに会社での生活を前提に予防できる策として思考停止人間になり、自分を殺してじわじわ生きる道がある。
ただ、考え方を変えれば、そこに適応しなくても勝つ為の道はたくさんあるし、それを考えるべきだと思う。
いま、YouTuberという仕事が当たり前になっているが彼ら彼女らは会社員に向かない人も多いと思う。
自分の意見を曲げられないし、自分のしたいこと言いたいことを誰よりも大きな声で言うので会社向きではない
会社では曲げることが多く、したくないこと、いいたくないことを誰よりも当たり前にいう環境であるからだ。
果たして彼らは彼女らは弱くてダメなのだろうか???
そんなことはないし弱いなりの生存戦略がある!!!
ぜひ自分の頭で考えて学び人生を歩んで欲しい!!!
【勝つこと】それは恐らく長生きすることだ
人生は100年時代と言われ出したのは最近のこと。
なので100年が目標として生きることが勝つこと。
その過程も意味のある時も意味のない時もあるだろう。
でも生きていれば良いこともあるし悪いこともある。
だから資本主義経済ではお金持ちが勝ちと思わされるケースが洗脳的に擦り込まれているが生きることが勝ちだ
お金があっても寿命を買うことはできないのだから。
大富豪であっても生活を制限されて決まった事しかできなくなった世界はきっと私的には不幸に見えてしまう。
逆に貧乏であってもホームレスであっても気ままに自分らしく生きられるのは私ならこちら側を選ぶだろう。
だから私は道教的な考え方をベースとして自由気ままに生きているがビジネスが純粋に好きなので仕事をする。
仕事は資本主義とかはとりあえず置いておくとしても、考えて行動する楽しさを提供してくれる空間として良い
だから漠然と道教的に歩む過程に仕事というものがないと何処か思考停止な状況になってしまい味気なくなる。
だから私は仕事が好きだし人生においてし続けるだろう
でもそんな自分であっても社畜な週5日で嫌いな好きでもない仕事をするのは地獄なのでそこは考えるべきだ。
なので何が言いたいかというと自分が生きやすいポジション取りをして後は悠々自適に長生きするのが勝ち。
というお話になります!!良かったらマネしてね!!
【負けること】負けは続ければ価値になる!!
私は「負け=価値」だと思っている。
だって人生振りかえると負けばかり思い出す。
それだけ記憶として価値があるだろうとも思う。
私以外にも世の中の多くの人が失敗談を語る。
それを聞きたい話したいが成立しているからテレビの世界でもYouTubeの世界でも失敗談を語るのだろう。
ただ、負けた状態で終わらせると無価値になるのもこれの特徴とも言えると私は思っていたりもする。
あくまである程度、知名度や成功体験があっての失敗の経験があって初めて価値が出るのだろう。
要はストーリー、感情曲線があってはじめて失敗の経験に価値が生まれ出すのだろうとも思えます。
ボクシングとかが分かりやすい例で、とても練習の段階ではめちゃくちゃ目に見えて努力をするでしょうが、試合では簡単に負けの連続が続くケースも多いでしょう。
でも継続して成長を続ける事でベルトに近付いたりベルトを手にしたりする瞬間が訪れるわけでしょう。
彼ら彼女らボクサーは負けても継続して成長を続けたからリングでベルトを手にして笑う事ができたのです。
人生もボクシングの様に負け続きであるのは挑戦していると捉えられると私は思ってならないのです。
挑戦しなければ失敗もできませんからね。
なので失敗経験が多い人はそれだけ成功へ挑戦し成功にベルトに近づいていると思っていいのです。
ぜひいっぱい失敗して成功に近づきましょう!!!!
【結論】幸せはお金の外の世界にある!!
今回は
・幸せについて
・不幸せについて
・勝つということ
・負けということ
について執筆致しました。
ぜひ幸せについて今一度考えてみて下さい。
あくまで私の一例に過ぎないので自分なりに考え
答えを模索していかれると豊かになれるのでは???
ではまた…