【自責の念】過ちを認めることから始めよう【愚直さ】
※今回の記事に関してはある程度心に余裕がある時に読まれる或いは実践されると良いかも知れない内容です!
あなたは日々の生活で過ちを認められていますか???
今回は自責の念と難解なタイトルはつけていますが内容としてはとてもシンプルな過ちを認める為の記事です。
それが故にメンタルにくる部分も多々あるかと思いますが別にあなたを陥れる為にエグってる訳ではないです。
ぜひ予め貴方の成功や成長の為の記事であることをご理解頂いた上での一意見として参考にして下さいね!!
【自責の念】あなたの過去の過ちは何ですか???
あなたも一度は過ちを犯し後悔しているかと思います。
私も、会社員になりたての頃はコンプライアンスも社会人としてのビジネスマナーもいい加減でただただ押し売りからのノルマを達成するだけの仕事をしてた後悔がありました、現在は糧として毎日励むようにしてます!!
世の中には大きくわけて、自分の過去の過ちを認めて反省して愚直に改善へと歩み寄ることで自身の求める目的に対して近づいていける方と、自分を棚に上げて愚痴や非難を浴びせ、相手にされず孤立する方がいます。
私もコンプライアンスゆるゆるで社会人失格な時期もありましたし、先輩よりも成果で有無を言わせない時期もありましたが、やはり争いが降り掛かりましたし、あの頃は毎日漠然と楽しくを仕事出来ない日々でしたね。
理由はわかりきっていて、それは心の何処かでその行いが過ちであることだと理解し、先輩を敬うべきであり、個人情報を保護し争うことが無意味であるとどこかでわかっていたからつまらない日々だったのだと思います。
この私の経験から分かる通り、その後私がどうなったかというと信用を失い、ハラスメントをされ、陰口を叩かれ、出る杭は打たれ、出世の道は絶たれ、転職を余儀無くされたのは火を見るよりも明らかな結論となります。
もちろんあがないたい人の気持ちもわかりますが、結局は自己責任な部分になり、その環境にいるのも自分の選択ですし、その発言で陰口を叩かれてしまうのも自分の選択によって生じた結果であり、転職も必然の道です。
ここまで落ちて、希望が絶たれてはじめて私は”変わる”ということを意識し出し、少しづつではありますがビジネスマナーやコンプライアンス厳守、敬うこと、相手の話に耳を傾けて受け入れた上でプラスになることを傾聴したうえでやった上で提案するなどしております。
今回は色々なそういった【自責の念】を持つべきシチュエーションを洗い出してケーススタディしていきます。
すべて私の過去とフィクションの狭間ではあるのでこれが必ずしも正解というわけではございませんが、少なからず私の導き出した一例としては参考になるはずです。
それでは過去へとタイムスリップしながら、今も迷える人たちに向けて、過ちを認めるべきシュチュエーションをケーススタディを交えて見ていきましょう!!!!
【自責の念】学生時代に起こり得るであろう過ち!
私のブログをよく読まれている読者はもしかしたらご存知な方も多いかと思いますが小中学生の頃に私はがっつりと言っていいほどのいじめを受けていました!!!!
当時は視野が私も鬼狭いので、自分から見える世界がすべて敵に思えて人間不信となっていましたが、今思えばそのいじめる側ももちろんながらあってはならないことをしていたのですが、私にもやられる理由があります。
それは当時は気付いていませんでしたが今思うとそうで、今でも“ソレ”をしないかと言うとそうでないということで、“ソレ”とは何かと言いますと“虚言”でした。
私は祖父がそこそこ初期の頃は裕福だったので小学校低学年(3年生くらいまで)はわりと裕福な育ちだったので、プレステのゲームソフトも50タイトルくらい持っていましたし、洋服も裕福な子のような装いでした。
しかし、実際は大人の事情(割愛しますが…)で一気に転落して貧乏生活になり、服は親戚のお古で、ソフトも次第には無くなっていて、ピアノもエレクトーンも洋服もリサイクルショップに売られてしまいました。
それが小学高学年で、私は見栄で貧乏になったとは言えずにずっと“金持ちのふり”をしていましたので、それは少しづつ服装や所有物からバレていきました…
なので当時は“嘘つき”と振り返ると言われていたし、「金があるなら寄越せ」とよくカツアゲをされましたので、それは私の金持ちアピールが嘘つきだと知ったことで起こっていったいじめだったように今は思います。
これを自責の念に置き換えて反省するのであれば…
・嘘を絶対につかないついても自分が損をする!!
ですね、貴方も心当たりがあるのではないでしょうか?
親についた嘘、友達についた嘘、恋人についた嘘など、おそらく私だけではなく人生では沢山嘘をつくでしょうからもし心当たりのある方は過ちを認めてみましょう!
【自責の念】社員時代に起こり得るであろう過ち!
私は5年以上正規雇用及び非正規雇用の雇われていた経験がありますし接客販売営業と歩んで生きてきました。
そんななかでこれも先ほどのものと似ていたりもするのですが大人になってそれが言葉が変わってきましたね。
それは“すり替え”と表現するといいかもしれませんが、具体的に話すと例えば“やる気”を“インセンティブ”にすり替えて“インセンティブ”があるから“やる気”がある。
または“上司”ができるから“わたし”ができるのであって“上司”ができないのでは“わたし”もできないなど…
“すりかえて”候補の言葉をもう一つ出すのであれば“他責”な行いを私は売れない時代は特にしていたと思います、会社員は言うならば“与えられている”環境や仲間との仕事となりますから言い訳し放題だったりします。
例えば会社員の社長がいけないとか、上司がいけないとか、エリアがいけないとか、インセンティブがないからとか、施策がはしってないからとか、そもそも商材がわるいとか、抱き合わせ商法が悪いとか様々でしょう!!
ただ、これもそうなのですが、言い訳をして“すり替え”て議論しているつもりになって何か解決した試しがあるのでしょうかとも私は当時を振り返り思います。
まさに“自責の念”といった形となり、私はある時からこれをすべて自分の行いだと悟り、毎朝7時から終電までずっと仕事のことを考えて生活をして、施策表などを暗記して、進捗への足りない数字を毎日頭で考えながら接客営業の時間を逆算し日々成約の鬼となりましたね。
結果として全店1位の代理店で最優秀な賞を一瞬ではありますが獲得できましたので、この“すり替え”と先ほどの“嘘をつかない”だけでもかなり成果は出ると思う。
世の中を見渡して思うのは、ひとのことは全く言えませんがこれらがまるで出来ていないし出来ていないことにすら気付かずに生きている人が殆どだと私は思います。
ぜひこの学生と社員時代の私のケース事例を参考にして人生の糧として毎日をエンジョイしてみて下さいね!!
【自責の念】無職時代に起こり得るであろう過ち!
続いては無職時代(ニート)のお話をしたいと思います。
正直相当長いきかんをしていたわけではないのですが、累計で言うと1年ちょっとの期間を失業者というか、働きたくなかったのでニート状態で過ごした期間があり、その頃は実家だったのでそれが実現可能でした!!!!
ニートの頃は体力が凄く低下してしまっていて、躁鬱的な鬱病の可能性が非常に高い状態にあったと思います。
毎日MMORPGの中のレベリングを行ったり、AVを見て癒されて現実逃避をしたり、当時は2chとニコ動の全盛期でありましたのでそこでアンチをして夢希望を掲げている夢追い人とか活躍して居る人の悪口を言ってた。
毎日退屈なのすら忘れ、近所の公園の子供の明るい声が怖くて、カーテンを締め切り、親のガミガミの説教にも聞き飽きて、私はアイマスクをして適当な時間というか一日12時間以上寝ていて、他の時間はMMOの住民としての生活をして耳栓かヘッドホンで耳を塞いでました。
外は特に怖くて月に1回出れれば出ている方で2ヶ月に1回とかの時期もありましたし、人にこそこそと悪口を言われているような気がして近所の方から疎外感で、わざわざ遠くのコンビニやスーパーに深夜行ってました。
深夜でも店員さんが怖かったので無言でレジが空いている時間にこそっとレジを済ませてわざわざスーツを着ていってみたり、友達と電話しているふりをして、あたかもふつうの社会人を演じてその買い物をしてましたね。
この頃の自責の念として言えるのは“逃避”ですね。
これに関しては、個人的には人生を見つめた約1年の貴重な時間とも思いますし、人生で底がもしあるのであればきっとこの時期は底と言っていい時期でしたね。
ですが、自責の念を持って“逃避”するのではなく、これからの人生に置いてはこの出来事を糧にして、塞ぎ込むのではなく、しっかりと鬱なら治療を進めるなどして、自分の人生を少しでも改善していく様に動きたいと思いますし、これから抜けた経験は伝えていきたいです。
ぜひ、今引きこもっている方がいるのであれば、ネットでは第三者でありますから、それをこう言った形でブログやSNSなどで共有することによって、世界に1人ではなく同じ思いの方がいるのだと思い、そうすると少しは生きやすい世の中や人生になると思いますのでぜひ!!
【自責の念】人生において、自分にしかなれない
これまでのをまとめると以下の通りですね
・学生の“嘘”という自責の念
・社員の“他責”という自責の念
・無職の“逃避”という自責の念
なので、嘘をついたり、他人のせいにしたり、現実から
逃げたりしても人生は良くはならないということです。
であれば、どうすべきかというと思う答えはお分かりかと思いますが、素直に嘘をつかずに、自分に原因があるのだと考えて、逃げずに現実を受け入れて生きること。
現在私は、この記事や他の記事もそうですが、言い回しは語弊や誤解を生む様な構成の時もあるかと思いますが、基本的に嘘はつかず、自分に原因がある或いはあったと思い記事を書いておりますし、私もまだまだ未熟で成長途中な半端者であるともしっかり理解している。
そんな状態であるからこそ、新米のWEBライターとしてもがく毎日の研磨での少しずつの成長が楽しいし…
幸せに感じられるし、成長がこの記事という形で振り替えられ、私のPCのフォルダにはコンプライアンス的なものなのでお見せできませんがクライアントから頂いた数々の記事やペン入れして頂いた記録が残っています。
これらが出来る以前の私は、毎日爆然と過ごし、自分を虚言の何者かを演じ、何かあれば他人のせいにして、環境のせいにして、最後には逃げ出していました…
でも、現在はフリーランスで大変不安定ではありますが、今後色々な動画コンテンツの流れなどでWEBの在り方やライターからの転身ももしかしたらあるかと思いますが、どういった形であれ“作品”は作り続けます。
一重に、どんな形であれ“作品”は世に残りますし、その
”作品“が誰かの為になり、少しでも感情に響く何かがあればそれで私のライター冥利に尽きるというものです。
ぜひ、この嘘をついたり、他人のせいにしたり、現実から逃げたりしても人生は良くはならないということ!!
これが今回の記事で伝えたかった内容となりますし、いきなりこれらがすべてできるわけでもありませんし、私も100%出来ているかと聞かれたら100%ではありませんが、少しでも数ヶ月数年後でも出来たらいいよね!!
そんな私からの皆様への人生から得た
1つの贈り物としての記事となりました。
ではまた…