【どっちがお好みですか?】フィクションのなかで生きる人orフィクションの外で生きる人【好きな道を選べ】
本日の内容は個人的な人生の考え方のお話です。
誰かが作ったコンテンツを消費して楽しむのも人生
逆に自分が作ったコンテンツを消費して貰うのも人生
『人生は1度きり他人の夢を生きるか?
自分の夢を生きるか?すべては自由だ。』
という内容になります。
ぜひ興味のある方は本編もお楽しみください!!
【どっちがお好みですか?】まずはフィクションのなかで生きる人のお話しです。【フィクションのなか】
まず最初にお伝えしておきたいことは、フィクションのなかが良いとか、フィクションの外が良いとか、そういう話ではなく、好きな方を選べば良いだけのお話です。
まず『フィクションのなかを生きる人』というのは、以下のようなコンテンツを楽しむ側の人間のことです。
- 映画(最近だとNetflixとか映像作品)
- ドラマ(海外ドラマや国内ドラマなど)
- コミック(最近だと鬼滅とかが有名です)
- アニメ(シン・ウルトラマンが楽しみです)
- フィクション(エルメスとかグッチとか有名)
- YouTube(ふくれなが破局してショックです)
- ライブ配信(今は17ライブ配信が激アツですね)
- 小説(最近は面白い小説も増えていてたいへん)
- ビジネス(クラブハウスが最近は激アツですね)
- エンタメ(西野亮廣が吉本退社したそうですね)
こんな感じで色々なフィクションを楽しんでいる『大半の人々』がフィクションの中を生きていると私は考えていますが、べつにこれが悪いというお話ではないです。
しかし『誰かの作り出したストーリー』のそのものを楽しんだりして、お金や時間を消費したり、誰かを支える人生ももちろん素晴らしいのですが、すべてではない。
自分で物事を考えて決めているようで、実際には『ビークエンド効果』を代表するような心理学の心理テクニックで考えや行動を操られていたり、マーケティングなどのビジネススキルで知らぬ間に流されていたりします。
なので、盲目に生きるのも、それはそれで『幸せ』かもしれませんが、私個人としては『自分の意思で生きる』ほうが幸福度が高いと思いますし、誰かに知らぬ間に『利用』されて『依存させられて』『管理される』人生はどうも居心地の良いものでは無いと考えております。
【どっちがお好みですか?】フィクションの大きさ
なので次はフィクションの大きさのお話をします。
私が思うに『地球』にはフィクションがかなり少ない状態にあると思っていて、仮に『人類』のいない地球がもしあったとしたら、そこはフィクションは少ないはず。
ただ、現実問題として『人類』は『フィクションの共有なくして生きられない』ので、人類は『国家』と呼ばれる大きなフィクションを作り出し団結をしましたよね。
そして、その国家にも色々な考えの人がいますので『政府』を作り出し『自民党』とかそういう感じの組織化をして、フィクションを管理したり取り決めたりしてる。
それでも色々な人が色々な意見を言うので『資本主義』という『巨大なフィクション』を作り出し『貨幣経済』という『設定』を行い、人類は『企業』を作りました。
その『企業』には『お金を出す資本家』と『そのお金で会社を切り盛りする経営者』と『そのお金を貰って働く従業員』という『ピラミッド』が出来上がりました!!
更に人類は子孫繁栄を続けて『人類を存続させたい』という『本能』に突き動かされて『家族』と呼ばれる最小単位のフィクションまでも作り出して生きております。
ここまできて、やっと『個人』にたどり着くので、我々個人の一人の人間は『壮大なフィクション』のなかで『フィクションのなか』で生きていることになります。
最初に戻ると『地球』に近づく『動物のような生活』へと近づくほど『フィクションは薄まります』が、そうなると『フィクションに生きる人との対立』になるので…
人生は『フィクションのなかで群れて楽して生きる』か『フィクションの外で小さく頑張りながら生きる』か。
この極論で言えば2択になると私は考えております。
まあ、でも実際問題は『ゼロ100』ではないので、家族というフィクションを出るのも良いですし、起業して企業のフィクションを作るでも良いですし、政府に参加したり、小国を購入して国家を作るでも良いと思います。
まあ、そこらへんは各々の『努力量』で変わってくると思いますし、それらも含めての『フィクション』です。
まあ、自由に好きに生きて死ぬだけの人生ですよね!!
【どっちがお好みですか?】つぎはフィクションのそとで生きる人のお話しです。【フィクションのそと】
それでは次は私が居るフィクションの外のお話です。
私の居るフィクションの外は『資本主義』の外側です。
これは深く話すとまた4000文字を超えてしまいますので『資本主義』の外側の話は今は割愛させて頂きます。
話を戻しますと、人類は『猿→人』へと『フィクションを共有すること』で人類はここまで子孫繁栄できた。
なので単純な話で『フィクションをつくる』だけです。
ただ、話を『フィクションのなかの人』に戻すと、フィクションの外の世界は『厳しく険しい』のは事実です。
当たり前ですが『管理されて依存していたほうがラク』なので『一人暮らし』より『実家暮らし』のほうがラクですし、『起業』より『会社員』のほうごラクになる。
ただ『管理されたくない』『依存したくない』『自分の人生を自分で生きたい』『本当の幸せになりたい』のであれば、例え世界から嫌われようとも『外に出よう』。
進撃の巨人のエレンのように、世界と戦い、憎まれ、駆逐される側になろうとも、自分の人生を生きましょう!
それをする覚悟がないのであれば、大人しくウォールマリアの壁の内側で暮らしていた民のようにするのです。
【どっちがお好みですか?】フィクションの一覧
それではフィクションを作る、いわゆるクリエイターのフィクション一覧ですが以下のようになっています!!
まずは『自分の世界をつくる』人たちです。
- 映画:映画監督/脚本家/映像制作等
- ドラマ:ドラマ監督/脚本家/映像制作等
- マンガ:漫画家/イラストレーター等
- アニメ:アニメーター/映像制作等
- 小説:小説家/ライター/ジャーナリスト
これはとても分かりやすかったと思います。
ただ3次元的に作るか、2次元的に作るか、平面的に文章や画像を駆使してフィクションを作り出すだけです。
つぎは『自分のセンスをつくる』人たちです。
- フィクション:アパレル店員/デザイナー等
- アクセサリー:アクセサリーデザイナー?等
- 家具:家財デザイナーとかいうのかな?不明…
- アート:アーティスト/芸術家とかそんな感じ…
これは自分の知識やセンスやトレンドをいち早く『アイテム』に落とし込んで流通させて普及させるタイプのフィクションの作り方で、アパレル店員さんも個人開業とかしてフィクションコーディネートをしたりするレベル感に消化出来ればクリエイターになれると思いますね。
つぎは『自分の考えを売る』人たちです。
これは『ビジネスパーソン』がこれに該当していて、ほとんどの会社員は指示待ち人間であることが日本国内では散見されるので除外しますが、多くの個人事業主や経営者や投資家などは、自分の考えを具体的には『モノ』や『サービス』という形のフィクションにしています。
この世界には『Uber』なんてフィクションでしかないので『実体』はないですし『リンゴ』だってフィクションでしかないのであんなのは『食べもの』でしかない。
そういったものに『ラベリング』や『ネーミング』や『キャッチコピー』や『セールストーク』などマーケティングやビジネスノウハウを駆使して売っていますね。
なので、この『自分の考えを売る』人たちというのは『フィクションをスケールさせる』のがうまい人たち。
これの『フィクションのスケールの最小単位』が…
『自分の家族をつくる』フィクションを作る人です。
べつに悪いとか良いとかではなくて、フィクションの人数の最小単位は『2人』や『1人と1匹』とかになりますので、それに該当するのは『カップル』や『家族』になるという話になりビジネスの最小版になります!!!!
なので、家庭環境を円満に円滑に過ごすのも、会社を起業して社内の人間関係を円滑にして、業務の効率を担保する為に画策するのも『全く同じスキル』が必要です。
なので出来るビジネスパーソンは『モテる』人が多いですし、私は自分が出来る人とは思っておりませんが、少なくとも『女たらし』と言われる程度に『モテます』。
最後は『自分の面白いを作る』人のお話です。
べつにフィクションなので『面白かろうともつまらなかろう』とも『それがフィクションとして共有』されていればいいだけの話なので、Netflixは最高に楽しいフィクションですが、ブラック企業の慢性的な人手不足によら過労死ラインの労働環境も同じフィクションですね。
でも、人生は1度きりですので、可能であれば『エンターテインメントに溢れる』人生にしたいと私は思う!!
西野亮廣がこのあたり『最強に上手くて』かなりそういった意味では尊敬出来ますが、もちろんポジショントークやトンネリングが強めなので気を付けた方が良い!!
まぁ、それだけ『影響力(フィクションの作る力に長けている)』のは良くも悪くも事実としてあります!!!
そんな感じで今回は『フィクションのなかで生きる人orフィクションの外で生きる人』のお話をしましたね。
これを経てあなたはどっちの人生を生きていきますか?
本日は以上となります!本日もお疲れ様でした!!!!
ではまた…