【人との繋がりとは】電気のような通電だと思うんだ。
今回は「人との繋がり」の人間関係のお話です。
私が思うに「人との繋がり」は、電気のような通電にとても似ている事象だなと思っております。
コンセントを繋げば電気が流れてくるが、それには電気代というコストがかかる訳ですし、大量の電気を使い過ぎればブレイカーは落ちる事象も人間関係に似てます。
今回は例え話を交えつつ繋がりについて考えていければと思ってますので興味があれば続きをお楽しみ下さい。
【人との繋がりとは】電力に似ていると思うんだ。
今までの人生において、何らかの人間関係を構築してきたと思いますが、やっぱり電力と同じでコスト(時間やお金や労力など)が伴う行為だと私は思っています。
人間もシナプスの電気のようなモノで脳みその信号を送りあって制御しているらしいので、きっと人間も高性能コンピュータなのだと最近わたしは考えてしまいます。
なので人間関係構築するのは体力を使いますし、体力を使った分だけ人脈は広がりますが、広げすぎると電気と同じでブレイカーが落ちてしまうものだと思います。
私はマルチをしていた時期がかつてありましたが、その頃は数百人という人間に毎月触れ合っていましたから、恐らくブレイカーは落ちかけてしまったのでしょう。
人とたくさん会ってはいるんですけど、満たされないというかすり減っているというか、そんな日々の連続で…
まるでブレイカーがガタガタいっているというか、毎日帰宅した後の虚しさややるせなさ、また人を苦しめているかもしれないという後悔に悩まされる事が多かった。
結果として私は、そんな日々に嫌気がさして、マルチの団体も辞めたし、会社も辞めてしまって、1人孤独にWEBライターとしてブログから何かを伝えようともがき出しました。
当時のブログはregretブログみたいに文字数も安定していないし、語彙力も「ですますですます」ばかりの駄文で、クラウドワークスでも案件を獲得出来ないレベル…
それでも貯金を切り崩しながら、失業保険を貰いながらも、日々とても満たされる執筆活動の日々でしたね。
当時の私は省電力で動く電化製品のようで、力もなかったけれども、確かに毎日自宅で確実と生きていました。
私は思いました、電気代と人間関係は同じで、節約したり、使い所を考えたりして生きたほうがよいのだと。
【人との繋がりとは】電気と同じで蓄電出来るよ。
そんなWEBライターをしていて思ったのですが、スマホに内蔵されているバッテリーと人間の心は似ている。
心も日々の人間関係で消耗もするんだけれども、同時に「優しさ」に触れると心は充電されるんだなと思います。
WEBライターをしていると、取材でたくさんの「優しさ」を感じたり、参考書籍からも「優しさ」を貰ったり、クライアント様から「感謝」という言葉を貰ったりする。
そういうのが積もりに積もって私の心は「充電」されているんだなと最近は思いますし、私も誰かの心を「充電」させてあげられたらいいなと思って頑張っております。
これはポジティブな側面で、もちろんネガティブな反面も持ち合わせていて、私がマルチにいた頃のように、数をこなすだけの淡々とした人との繋がりをしていると…
男でも女でも「モノ」に思えてきて、傷つけられたり、傷つける言動や行動がカンタンに出来てしまったり、人の心を考えることが出来なくなったり、自分の気持ちに気づけなくなったりして、ドンドン貧しくなりますよね。
これは日常的に皆さんがしているお仕事にも言えることで、会社の同僚だったり、上司や社長だったり、取引先だったり、電車だったり、バスだったり、コンビニだったり、すべてすべてが当たり前の存在ではないのです。
しかし、日々たくさんの人たちと「繋がり」を持ちすぎていると、それが「当たり前だと錯覚」してしまうのです。
私の場合はわかりやすくマルチで人を紹介したり斡旋したりするビジネスモデルのなかにいたので、わかりやすく上記のような「錯覚」を実感し、日々「負のバッテリー」に毒素を充電しているのがわかりましたし辛かった。
ただ、当時は先程も述べたように「自分の気持ちにも気づけない」レベルの心の貧しい状態になっていましたので、満員電車でただただ無表情で揺られる日々でした。
やはり、その環境から出て始めて「辛かった」と気づけるように私はなれましたので、恐らく社畜の会社員とか風俗とかAV女優とかそういった人もそうなのでしょう。
心や体は確実にすり減っているけど気づけないでしょうから、私としては気づけないなら逃げるべきだと思う。
逃げることは恥ずべきことではないと私は思っておりますし、体と心を痛めることのほうがよっぽど恥ずべきことです。
ぜひ、皆さんも心のバッテリーを意識して見て下さい。
【人との繋がりとは】一期一会の雷雨の有り様だ。
人生とは、刹那的なモノですから、私も振り返ってみたりすると雷雨のような激しい日々だったと思います。
平坦な人生もあるのかもしれませんが、たぶん失敗も成功もない、光も影もない人生は無機質でロボットのようで、少なくとも私は人間味をそんな人達には感じない。
人との繋がりは本当に一期一会だなと思っておりまして、マルチの頃に犯してしまった過ちは一生背負って生きたいと思っておりますし、もしかするとWEBライターの執筆活動は、その贖罪の意もあるのだと思います。
満員電車に揺られていると、私は電車の中を見渡して人間観察をするのが好きなのですが、ニコニコしている幸せそうな人たちもいるのですが、半数以上が死んだ顔…
そりゃあ日本は不景気になりますし、国力も低下するわけですし、日本人の多くは無理無駄な仕事を同調圧力に屈して耐えるだけの日々ですし、無駄に生きています。
人生というのはどうせ「雷雨」なのですから、雷という「ショック(打撃)」は必ずどこかの機会で受けるのです。
その多くは人との繋がりによって引き起こり、今回ならコロナショックという形で人を媒介としたものでした。
最近中国とアメリカが戦争をしたがっておりますが、そんな感じで、もしかしたら第三次世界大戦に突入するかもしれませんし、人類はショックから逃れられない。
中国とアメリカが戦争をしなくても、世界恐慌的な令和の世界ではいつ何時に戦争が起こってもおかしくない。
なら、尚更のことで、いつ死ぬかもわからない毎日なのですから、全力で会いたい人と会って生きるべきです。
したいことをして明日がなくとも笑って死ねるような刹那的な時間を例え豪雨の日々でもしっかり生きるべき。
「ありがとう」と思ったら、照れている暇はないので「ありがとう」と目を見て伝えるべきだし、謝罪をしたいと思ったら「ごめんなさい」としっかりと伝えるべき!!!
好きなら好きが最高潮に達した瞬間に伝えるべきだし、声をかけたいくらいのイケメンや美少女に出会ったら声をかけるべきですし、迷っていられるほど時間はない。
もし100歳まで生きられたとしても、1世紀も生きられない人生なので、歴史の教科書の1ページにも名を刻めないようなその程度の時間と記録程度の私たちです。
ぜひ、人との繋がりを大切に毎日を全力で生きよう!!
【人との繋がりとは】出会いと別れ、点灯と消灯。
学生時代の豆電球を覚えているでしょうか?
我々もあの豆電球と同じで心臓という名の乾電池で微かな命の灯火を灯しているだけに過ぎない生き物です。
今年は「志村けんさん」「三浦春馬さん」「岡江久美子さん」「木村花さん」「渡哲也さん」「岸部四郎さん」「竹内結子さん」他にも沢山の命が失われた2020年だったと思う。
あなただって、わたしだって、いつコロナ影響を受けてしまうかもわかりませんし、いつコロナを御家族様へ感染を拡大してしまうかもわかりませんからで別れは身近にあるわけですし、心して生きなくてはなりませんね。
それと同時に出会いもあるわけで、カジザックさんが新しいお子様を授かったりしていましたが、そんな感じで新しい命も確かに生まれている訳ですし、命以外にも…
破壊的なイノベーションで多くの中小企業が潰れていたり、コロナ影響で潰れてしまったりもしていますが、その一方で人類の歴史でまだなかったレベルのIT革命も起きていて、5GやIoTやAIやスマホやタブレットやシェアリングエコノミーやサブスクリプションモデルなどなど
沢山の新しい技術革新も生まれているのが、この令和の特徴なので、毎日をしっかりと自分の足で進路を決めて生きないとすぐに命が危ぶまれるような時代でしょう。
明日会社が倒産しても不思議じゃないですし、だからこそくどいくらい言いますが、今を考えながら生きないと行けないですし、出会いを大切にしないといけない。
同時に別れもしっかりと「受け止める」必要もあって、中学を卒業したり、高校を卒業したり、大学を卒業したり、会社を退社したり、会社を廃業したり、投資先を変えたり、恋人と別れたり、夫婦を辞めたりなどなどの…
そういった人生での死と死以外も含めたすべての出会いと別れをしっかりと「キツいけれども」大切に受け止めて令和時代は特に生きないと「後悔」してしまいますよ!!
点灯と消耗、出会いと別れ、雷雨と激動の時代、バッテリーの蓄電と消耗、心の充足と心の消耗、電力と心力。
人間関係と電気って本当に似ているなと思いましたね。
貴方もこうやって例えながら考えながら生きてみると楽しいかもしれませんよ?
ではまた…