REGRETブログ

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世の中から後悔を減らすためのブログ

【思考の偏り】誰しも主観で偏りのある見方をしている

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本日は『【思考の奴隷】みんな思考の器の範囲で生きているだけ』の続編的「思考」についての記事を書きます。

 


今回伝えたい結論を最初にお伝えしますと、それは「誰しもが偏りがあるので最終的には地頭で決断しよう!」

 


というシンプルな内容となっておりますので、ご興味のある方は最後まで本日もお楽しみ頂ければ幸いです!!

 


それでは本日もよろしくお願い申し上げます。

 

【思考の偏り】どうしても人は偏った考え方をする

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その理由はかんたんで、誰しも生育環境が違うし、家族構成も国家も宗教も財政状況も何もかも違うからです。

 


例えばお金持ちの家庭で生まれた子どもは、教養レベルが必然的に高くなる傾向にありますし、所謂お金で苦労することは少ないので将来的にも安定がしやすいです。

 


一方で貧乏な家庭で生まれた子どもは、学校の学費も自分で稼ぐこともありますし、何なら高卒で就職し家庭の家計を支えることを求められたりしたりもしてしまう。

 


そうなると両者で大きな考え方の軸は決まってきますし、お金持ちの家庭で育った子どもは「親のプレッシャー」や「期待と現実」など違った意味での悩みがあるし…

 


貧乏な家庭で育った子どもは「お金の苦労」や「高卒などによる学歴コンプレックス」などがあることでしょう。

 


そんな感じで人生というのは他にもたくさんの要素があり、宗教だったり、地域だったり、環境だったり、読んでいる本であったり、友人であったり、恋人であったり、そういった色々な要素の影響を受けながら過ごす。

 


なので、確証バイアスはかかりますし、どこまでいってもその人なりのポジショントークをしがちになります。

 


なので、何が正しいとかは本当はなくて、どれもが正しいですし、殺人であっても時代や環境によっては正義とされますので、本当にすべてが等しくあるのでしょう。

 


現在でもヴィーガンなどの動物愛護の精神を持つ人も居れば、家畜でビジネスをして儲けている人も居て、どっちもそれぞれの正義の名のもとに日々を過ごしている。

 


まず人間という生き物は「どうしても人は偏った考え方をする」というのを理解しておくと人生を楽しめます。

 


続いてはコンパッションの話をしていきますので、引き続き興味のある方は次節もお読み頂ければと思います。

 

【思考の偏り】偏りはコンパッションでカバーを!

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コンパッションとは「〔救いたいと願う深い〕思いやり、慈悲心」という意味を持つ言葉となっておりますが

 


それを持ち合わせることによって人生における「思考の偏り」によるケンカや争いごとは無くせると思います。

 


先程のわかりやすい金持ちと貧乏は対立構造になりやすいですし、資本主義というシステムにおいては、これらの対立構造が正常な状態として成り立っていますので…

 


貧乏は金持ちを羨ましがり、嫉妬や恨みや辛みなどを自分の人生と照らし合わせて抱いて、少しでも欠点を見つければ「誹謗中傷」をして、谷底に突き落とそうとする。

 


金持ちも同様に、金持ちなりにプレッシャーのなかで努力と呼べるものを人並み以上にしてきているわけですから、そういった貧乏な人たちとは関わりを持ちません。

 


なので彼らは貧乏は「時間を贅沢に使って攻撃をして」金持ちは「お金を贅沢に使って守りを固めて」いるのです。

 


それぞれを否定する気もありませんが、何が言いたいかというとコンパッションがないと争いごとになります。

 


コンパッションを手に入れるには「相手の気持ちを知る努力をする」ことが大変重要になってきますから、お互いの歩み寄りが必要になってくると私は考えてます。

 


具体的には貧乏な人も攻撃をするのに時間を使うのではなく、マネーリテラシー向上の為に時間を使って勉強してみたり、富裕層が読みそうな本を読んでみたりする。

 


金持ちも時間が重要で貴重なのはわかりますが、貧乏な人たちに耳を傾けたり、話を直接聞いたり、お互いの人生での苦労話を色眼鏡をかけずに語り合うのです!!!

 


そうすることによって「思ったよりも良い奴だな!」となればコンパッションが少しづつ芽生えてくるはずです。

 


学生でも社会人でも関係がなくて、頭の良い「個性」も、頭の悪い「個性」も、運動神経の良い「個性」も、運動神経の悪い「個性」も何もかも「個性」で人それぞれなのです。

 


みんな違ってみんないいので、ぜひコンパッションを意識し貴重な時間とお金を使ってでも会話をしましょう。

 


それが【思考の偏り】の解消への、我々人類が出来るであろう、年齢を問わない最初のステップになります。

 


ただ、実際問題「お互いに生活圏が違う」という問題も往々にして存在しておりますので次節ではそんな「生活圏の違いは補いかた」というお話をしたいと思います。

 

【思考の偏り】生活圏の違いは読書で補おう!!!

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理想論を語るのであれば「直接対話」が最高のソリューションとなりえるのですが、実際問題として、生活圏が違ったりするというかなりの難題があったりします。

 


経営者や投資家などの金持ちの方々は、その時間を読書や資産運用や経営の方針や人脈構築などに使います。

 


なので「物理的」に貧乏な人が居ない環境で生活をすることが多くなりますし、満員電車に揺られる様なリスクは取りませんし、オフィスにも出社もあんまりしません。

 


逆に貧乏な人たちは、その時間を浪費や娯楽に使って、飲み会やデートやゲームやNetflixなどに使っていて、毎日満員電車に揺られながらオフィスとホームを往復する出社と退社のレールの中で過ごしていると言えます。

 


なので実際問題として「生活圏が違う」という問題は解決が出来ませんから、「直接対話」が最高のソリューションというのは揺るぎないのですが活用が難しいのです。

 


そこで私が考えた新しいソリューションが「読書」です。

 


まぁ、新しくもないのですが私の新しく定義する「読書」というのは「各々が対岸の考え方を読み取れる行為」と定義させて頂きまして、それは本でも、WEBでも、YouTubeでも、Twitterでも、Instagramでも、podcastでも媒体やデバイスは何でも良いと思います。

 


やっぱり「歩み寄る」ことでしか、争いごとは無くせませんので!それらの新しく定義した「読書」をしましょう。

 


これまでの時代の活字との「戦い」をしなくても良い時代になりましたので、画像でも、動画でも、音声でも、マンガでも、映画でも、アニメでも何でもありますよね。

 


そういったコンテンツで「学べそう」なコンテンツを消費として見るのではなくて、投資として見ることを薦めますし、その時間は人生を幸せにしてくれるでしょうね。

 


べつに富裕層みたいに月間に数十冊の読書をしなくていいと私は思いますし、べつに「知識量で張り合わなくて良い」と思っておりますしべつに背比べしなくて良い。

 


それより「歩み寄る」ために「楽しく」歩み寄りましょう。

 


だって、辛い勉強を続けられる人は居ませんから、楽しく楽しんでコンテンツから何かを掴み取っていこうよ。

 

 【思考の偏り】馬鹿と天才も同じ人間であります!

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私もどちらかと言えば「馬鹿」とよく言われてきたタイプでしたので「天才」的な人に嫉妬してしまったりします。

 


私が2年間程度ライティングをしてWEBライターをしてきましたが、世の中には文才に溢れた方々が居ますし…

 


そういった文章に触れると悔しさとやるせなさを感じることも出来ますが「同じ人間」なので最初から一貫して話している貧乏とお金持ちと同じ構造になっています。

 


べつに貧乏には貧乏の悩みがあり、金持ちには金持ちも悩みがあるように文才に溢れた方々もプレッシャーもあるでしょうし、過去の栄光と比べれたりするでしょう。

 


彼らみたいな「天才」の考え方は、凡人には理解されにくいでしょうし、落合陽一さんみたいな難しい話は私もしっかりとは理解できないですし、そういった意味では彼らには彼らなりの難題な苦悩が間違えなくあるのです。

 


なので「同じ人間」なので、それぞれの「知識量」や「才能量」で勝負しても争いごとになるだけなので、お互いの持ちうる「良さ」を活用して「歩み寄る」ことが大切です。

 


そこに心理的なフィルターが存在していることもよく理解しておりますので、まずは新しく定義した「読書」から始めてコンテンツを楽しみながら学びましょうよ!!!

 


そして、ある程度知見が得られたらSNSなどを通じて対岸の人たちと会話をして思いやりを持って接しよう!!

 


それを繰り返すことによってしか、日々を積み上げていくことでしか【思考の偏り】から起こりよる争いごとはなくなりませんし、世界平和も環境問題も解決しない。

 


各々がこのままの自国ファーストや自分ファーストで、自己責任で自由奔放に自己都合で生きていれば、それは益々対岸との距離が離れることに繋がるでしょうし…

 


それをしていては第一次世界大戦第二次世界大戦やその他の多くの戦争から何も学んでいないことになります。

 


ぜひ第三次世界大戦を引き起こすであろう【思考の偏り】を強く推し進めて行くではなく、コンパッションを持って知識を楽しく読書を通じて付けていきましょう。

 


包丁もそうですが、料理をして人を喜ばせることも出来ますし、その刃で人を殺めることも出来てしまいます。

 


ぜひあなたの「個性」が人を苦しめることに使われずに、世のため人のためにその「魅力」をご活用くださいませ。

 


ではまた…