REGRETブログ

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世の中から後悔を減らすためのブログ

【虐めの原因】なぜ人は人を集団で虐めてしまうのか?

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あなたは今までの人生で虐められた経験はありますか?

 


今回は小中で虐められた私が、虐めの原因を私の実体験をもとに、時系列でおさらいして考察をした内容です。

 


結論から言えば、ネイキッドハートという“裸の心”のコアバリューを傷つけられたことへの報復だと思います。

 


ぜひ、このネイキッドハートやコアバリューを傷付けられたことへの報復の真相が気になる方はお読み下さい!

 


それでは今回も引き続きよろしくお願い致します!!!

 

【虐めの原因】虐めの流れを私なりに考えてみた①

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虐めというのは本当に些細なことから始まります。

 


私の経験で考えるのであれば、それは私がついた“小さな嘘”と“虚言癖”にその虐めの原因があったと思う!!

 


私は小学生3年生ぐらいまでは割と裕福な家庭環境にありましたので、当時ゲーム機などを多分に手に入った。

 


学校でもたくさんのゲーム機を持つ私はとても人気者でしたし、誰よりもはやく入手して、誰よりも最短でクリアして裏ワザとか攻略法とかの話をよくしていました。

 


でも、やっぱり“誇張した表現”などをついすることが私としてはありましたし、実際のプレイ環境では起こり得ない“小さな嘘“がそこにはあることもあったわけです。

 


それに対して、「こいつは嘘をつく…」というイメージを持つ人たちがその頃にいたのも事実としてあります。

 


そこまではまだ割と裕福な家庭環境なので、べつに特段ことを荒立てることもなかったのですが、私が小学生高学年に差し掛かった頃に親の収入が減収になりました。

 


それによって、実家にあったエレクトーンやアップライトピアノ、他にも家庭用ゲーム機などはリサイクルショップや質屋やブックオフハードオフに売却されました。

 


もちろん容姿(服装や髪型)なども、安っぽいフリーマーケットで買った安いお洋服になりましたから、そういった「落ちぶれた私」はまさに格好の”対象“でしたね……

 


「お前は、金持ちだろ?金くれよ…」と「お前は、今までもずっと借金して買ってただろ…」とか言われだし。

 


結果として虐めっ子の主犯格の数人に日々虐められる日々がそれから1年くらい続いていってしまいました。

 


これが私の虐めのはじまりであり、それは些細な私がついた”小さな嘘“と”親の収入の減少”がトリガーでした。

 


では、なぜこのようにエスカレートしたのでしょうか?

 


それを次の見出しで私なりに考察したいと思います!!

 

【虐めの原因】虐めの流れを私なりに考えてみた②

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恐らく、この原因はコアバリューに関係しています。

 


コアバリューとは「中核的価値観」のことでして、簡単に言えば自分の核となる考え方などの価値観の話です。

 


要するに、私は小学校低学年までは裕福だったので「ゲームなどが買える」人で「優位性」をもっていました。

 


それに対して公立小学校だったので、他の大勢の人たちは「ゲームを買えない人」と「そこまで買えない人」が大多数をしめていたのも事実としてあるわけですね!!

 


何が言いたいかと言うと「ゲームを毎週買える人」と、「ゲームを毎月買えない人」が対立していますよね。

 


これがお互いの「買いたいけど買える状態」のコアバリューで「満たされている」状態と、「買いたいけど買えない状態」のコアバリューで「満たされない」状態の…

 


2つの対比があり、それを満たすために「買いたいけど買えない状態」の人たちが私の話を聞いて、その自分の「購買欲求」を満たしていたのだと思われるのです!!

 


だとすると、その後高学年生になり貧乏に陥った私は「いらない」状態となるので、明らかに私に対して興味を持つ人は減りましたし、その落ちぶれていく様は「不快感」を小学生なりに同級生は感じていたと思います。

 


だって、自分たちが「買いたいけど買えない状態」にあるのに、「買いたいけど買える人」が買えなくなる様は、あまりに理不尽で見ていられるものではなかった。

 


なので、もともと貧乏だった人にとっては「希望を失い」普通の収入の人も「ストレス」がかかる状態です。

 


その「ストレス」の元凶を、私にすり替えだしたのが、

私の虐めの原因だと私は考えておりますし、それが私が考えた造語でいうところの「ネイキッドハート」への…

 


自尊心や裸の心への傷付けられた報復に繋がるのです!

 


要するに「俺なんか、私なんか、絶対に叶わない」というストーリーテリングが強烈に悪いシナジーを生んだ。

 


それの「仮想敵」として、私を虐めることによって、「もともとアイツは嘘つき」だったというフェイクニュースを生み出すことで、己を守ろうとしたのでしょう。

 


だって小学生で絶望を短かに感じて、小学生のこどもがそれに真正面から向き合えるはずがないので当然です。

 


虐めは良くないけれど、その事象に耐えられないのも今の大人になった今ではわかりますし理解は出来ますね。

 

【虐めの原因】結論、虐めは絶対に無くならない。

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結論として私が思うに虐めは絶対になくなりません。

 


理由は単純で「自分以外の人のコアバリューが不透明であり、それはネイキッドハート(裸の心)なので、夫婦でもわからないレベルの話なのでわかりようがない」から

 


政治家の世界でも、国家間の争いでも、コアバリューの近くにあるであろう「宗教」や「人種」が色々な問題の火種となるのはそういうことだと私は結論づけます!!

 


なので難しい言葉で少しだけ話しますと、「大きな政府」もあれば「小さな政府」もあり、「革新派」がいれば「保守派」がいるのが日本人のコアバリューですし…

 


もっとパーソナル細分化されたコアバリューとか「指数関数的増加」にコロナウイルスの様に増加しています。

 


その一個一個に争いの火種があるわけですから、完全に虐めを無くすことは不可能ではあるわけですけれども…

 


「虐めを減らす為に努力することもできる」と思う!!

 


そこで重要になってくるのが有名な例で言えば「ジョハリの窓」と呼ばれているものや「返報性の原理」です。

 


要するに「自己開示」をしやすい環境を作りだして、そういったことを話し合えるコミュニティを作るのです。

 


最近これをうまいこと機能させて成功しているのが「オンラインサロン」と「クラウドファンディング」です。

 


オンラインサロンでは、それぞれの人がそれぞれの価値観を自己開示して、それぞれの小さく細分化されたコミュニティの中で自分の承認欲求や深層心理の奥底にあるであろう「コアバリュー」を満たしているわけです!!

 


また、クラウドファンディングでもそれぞれの「夢目標の実現」を自己開示して、資金調達を銀行や投資家にお願いするのではなく個々人の間で行っているわけです。

 


このように、虐めや戦争を無くすには、カンタンなようでとても難しい「歩み寄り」の作業が必要になります。

 


私は学生時代にメタルギアソリッドという作品でこの言葉を生まれて初めて聞いて感銘を受けましたがまさに…

 


世の中を良い方向へと向かわさせるためには、「歩み寄ること以外の選択肢はない」と最近は感じています。

 


それでは虐める側についても考えて今回は終わります。

 

 【虐めの原因】虐めた側を攻撃するのもまた虐め!

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現代社会でも「半沢直樹」という作品が非常に流行っておりますが、復讐ややり返すは絶対にしてはだめです。

 


理由は簡単で、虐める側には「虐めないと保てない環境」があるので心のケア不足が根本原因となってます。

 


誰だって好き好んで人を誹謗中傷したいわけではありませんし、虐めたくて虐めを楽しんでいるわけではない。

 


主犯格の虐め子は私を虐めていた人もそうですが、とても貧しい家庭の子供の方でしたし、ボロアパートに住んでいたり、家庭内不和がある家庭が殆どだった状態で…

 


そういった「家庭内ストレス」の出口として、私を虐めることはもちろん良くないのですが行っていたのです。

 


なので、もし虐めを解消したいのであれば、その虐めっ子の家庭で起きているであろう、家庭内暴力育児放棄などの根本の原因を社会全体で救いにいく必要がある。

 


それを放置して、虐める側が悪いと一方的に表面的に対応して改善を促そうとするのは間違った対応なのです。

 


LGBTQでもそうですが、表面的に「レズだよね!」「ゲイだよね!」って行ってしまうと、「性のグラデーション」を蔑ろにして近年問題となっている「アカウンティング」と呼ばれる勝手な情報を話されることによって生じる問題などにも繋がるので絶対してはいけない。

 


なので、虐めというのは大きな問題としてありますし、それによって「命を落とす」人も年間に大勢いるのですが、それを解決するということは至難の技なのですが…

 


この虐めを解決へと「歩み寄り」をしない限りは、戦争もなくなりませんし、国家間でのいざこざもなくなりませんし、人種差別やLGBTQの問題も解決できません。

 


なので、虐めの議論というのはむかし良くテレビ番組で面白おかしく脚色して悲劇のように取り沙汰されていることが多かったですが、アレは絶対にしてはだめです。

 


大切なのは「日々のコミュニケーション」であり、「歩み寄りの日々」であり、それが困難な場合は「環境を変えたり」、これからの時代であれば「リモートへのシフト」であったり、色々すべきことがある事柄なのです。

 


ぜひ、この記事をきっかけとして、虐めについて考えてみて欲しいですし考えられる人が増えていって欲しい。

 


それが世界がよくなる唯一の方法であるのですから。

 


ではまた…