【べきを辞めろ】絶対的発言は争いごとの始まりだから
本日の内容は前回予告していた通りで…
「○○は○○すべきだ!」っといった感じでの…
『べき論』を辞めようといった内容をお届けしようと思っていて、理由としてはこれらは多数派の圧力でマイノリティな少数意見や主張を殺すことに繋がるからです。
具体的な発言にすると、「男女は異性を愛すべきだ!」といった発言は昭和の時代には当たり前だったのです。
今はLGBTなどが少しづつではありますが浸透してきており、そういったセクシャルマイノリティーの意見も取り入れられるようになりましたが以前は違ったのです。
そんな『べきを辞めろ』について本日はお話します!!
【べきを辞めろ】才能を殺す現代社会への警鐘!!
私は、昔からイジメられることが非常に多かったので、ある意味マイノリティ側の気持ちがわかるほうです!!
私がイジメを受けた最大の要因としてあげられるのが『みんなと違った行動を好んだ』という点があります。
例えば小学生の時に、みんなが国語の時間に漢字の書き取りをしている時間に私は紙鍵盤を机で叩いてました。
先生は私にこう言いました。『リグレット書き取りしなさい!!』でも私はそれをしようとはしませんでした。
私は『やりたいことをやりたい時にやる』というスタンスを幼少期は特に積極的に実施しておりましたから、それで『知的障害者』と先生方にレッテルを貼られたり…
友達の親御さんから、『あの子とは関わるのを辞めなさい』ということが、その友達に親御さんから伝えられたようで、それ以降友人をやめてほしいと懇願されたり…
それがエスカレートして、『イジメられてもしょうがない奴』という印象がドンドン加速したことで、小学4年生〜6年生ごろまで私は延々とイジメられましたね!!
果たして『私は“悪”だった?』のでしょうか????
私は、それの答えは持ち合わせておりませんが、会社員においてもこの様な現象や事象を見ることがあります。
例えば、生産性を上げるようなアイデアを思い付いた人がいたとしても、業界の文化だとか、慣習だとか、社訓だとか法令だとか、何かと言い訳をして揉み消します。
もちろん、会社員は職に拘束され続ける理由もないので、そういった優秀な人材は優秀な企業へ転職したりしていくのでべつに問題が一見無さそうにも見えますが…
そういった空気が何かを殺しているのも事実でしょう。
【べきを辞めろ】社会人はこうあるべきを辞めろ!
これは火を見るよりも明らかですが、現代日本は労働生産性も低いわけですし、米国のGAFAや中国のBATなどのような企業が存在していないことからわかりますが…
日本社会の現状のやり方は『古い』のは間違いない。
であれば、『社会人はこうある“べき”』という発想を一回やめたほうがいいのではないでしょうか?と思いますし、そういった発想をしている限り未来はありません。
もちろん日本は少子高齢化で、ほとんどが高齢者なので、そういった新しいことをする考え方が出来ない人が大勢居るのも事実なのですが、せめて若者を食い物にして一緒に破滅へ引き摺り込むのはやめて欲しいと思う。
これは『○○は常識だ』『そんなことも知らないのか』『これだから若者は』『非常識にもほどがある』など。
そういった頭ごなしに“否定”から入る人が今の日本国内には圧倒的に多いと思っていますし、そういった考えが冒頭でも述べましたがマイノリティの価値を殺します。
これは、毎年国が把握しているだけで自殺者の数が約2万人もの人たちの尊い命が毎年安定して失われている。
特に若者の自殺者はヤバすぎて、死因の1位が自殺となっているわけですから、間違いなく要因はコレです。
常識とか、当たり前とか、みんなもやっているとか、こうあるべきとか、就職すべきとか、進学すべきとか、YOUTUBERはやめるべきとか、色々とありそうです。
そういった『○○すべき』が多くの可能性とマイノリティの価値と、ただでさえ少ない少数派なのに、拍車をかけるように彼ら彼女らの尊い価値観を無へと消します。
これは、恐らく日本国内外で人権問題とか、人種差別とか、LGBT問題とか、格差問題とか諸々に繋がるはず。
なので話を戻しますと、社会人はこうあるべきという会社のスタンスはもう終わりにして、多様性でお互いの価値観を気軽にシェアして否定せず、そんな空気感の風土を根付かさせる必要がありますし、そうでない会社は…
『もう辞めてしまったほうが良い』とさえ思います。
そういう非生産的で、人を幸せに出来ない企業はRPAやAIや5Gでの破壊的イノベーションで無くなればいい。
とさえ私は思ってしまうほど日本社会はおかしいです。
【べきを辞めろ】男だから女だからはもう古いよ!
私は電車で『女性専用車両』に日々違和感があります。
あれって、LGBTを否定していると思うんですよね…
トランスジェンダーの人は乗ってはいけないのでしょうか?それを否定している人たちはなんなのでしょうか?
何なら、何で男性専用車両はないのでしょうか?何で、LGBTそれぞれに配慮した表記に変えないのでしょうか?何で優先席が少数派としてあるのでしょうか???
もう、日本社会にはそれはそれは多くの『べき』が溢れかえっていて、私は毎日イライラしすぎてしまいますので、日常ではアンテナ感度を低下げて過ごしていますが
まだ今だに『男だから』とか『女だから』といった発言をする人が一定数いるのが不思議でしょうがないです。
まぁ、そういう発言を否定することで、今度は彼ら彼女らがマイノリティになってしまいますので、否定はしませんが『黙っとけ』とは個人的に思ってしまいますよ…
こんな感じだから『病んだ国日本』とか『後進国日本』とか『日本はオワコン』とか言われてしまうのです。
なので、こういった日本の空気感を変える答えが『べきを辞める』ことにあるのだと私は確信しておりますね。
『べき』を辞めるだけの簡単な思考の改革をするだけで、一瞬で世の中のマイノリティが生きやすくなりますので、ぜひこの考え方は世の中に広めていきたいです。
例えば『会社員をしたければすればいいし、したくないならしなくていいよねぇ』という考え方をしたりする。
そうすれば、もっと気楽に『挑戦』がしやすい世の中になるでしょうし、YouTuberみたいな個人で戦う人もより増えるでしょうし、何なら革命家が誕生するかもしれないですし、西野亮廣の様な方が増えるかもしれない。
それは、結果としてイノベーターとなる彼らや彼女らがこの日本を高次元へと引き上げてくれるわけですからWINWINでしょうし、否定しなければ行動できます。
もっとわかりやすく言えば『自転車は補助輪からはじめるべき!』という考え方を辞めて『補助輪ありでもいいし、補助輪なしでも何でもいいよ!』といってあげれば、もちろんコケまくるとは思いますが、きっと飲み込みのはやい子は、そっちの方が早く物にするはずです。
ぜひ、『何でもいいよ〜』の精神で生きませんか???
【べきを辞めろ】お前の価値観で決めつけるな!!
『俺の若い頃は下積みを何年も積んで努力したもんだ』
みたいな『お前の価値観とか知らんわ(笑)』って日々生活をしていて思ってしまいますし、辞めましょうよ!!
それは『“見えない”べき論』だと私は思っていて、『○○すべき』とは直接的にいっていませんが、それは間接的に『無言の圧力』でマウントしている状態です。
要するに『直接的』とか『間接的』とか、そういう問題じゃなくて自分の偏った『決めつけをするな』って話。
この世の中、決めつけから入って得することは殆どありませんし、柔軟な発想をもって試行錯誤しながら、現状を疑いながら改善しながら失敗しながら歩むべきです。
男とか女とか、LGBTだからとか黒人とか白人とか、会社員だとか個人事業主だとか、経営者だとか投資家だからとか、無職だからとか、障害だからだとか関係ない。
人生というのは人間という枠組みすらも『べき論』でしかないので、生き物とし『動物』として考えてもいい。
ゴリラに共感をして、ゴリラのような考え方や生態系の作り方や、コミュニティの作り方をマネしてもいいですし、バナナの素晴らしさを探求するも多いにありです。
また、犯罪者から多くの情報を集めて、彼ら彼女らのマイノリティな人生について深く傾聴して、それをジャーナリズムの精神で、彼らの救いへの一助となるも良し。
べつに無職をしながら、Himalaya(音声配信アプリ)で、毎日の無職というポジションで見る日本社会の闇について、時間を余すことなくリサーチして話すも良し。
人生というのは『○○すべき!』なことなんて何一つありませんし、そもそも『会社への帰属意識』なんてものさえも入りませんし、それはWANTの話ですよね!!!
会社員を長く続けていると、会社というもののWANTの要求が、MUSTに思えてきてしまって、それが『義務』のように感じられてきてしまい、『奴隷』になります。
現代社会にも『奴隷』が存在していて、ブラック企業の社畜なんてものはまさに『奴隷』で、出世という労働階級で自身の忠誠を表してしまったりもしてしまいます。
私がいいたいのは、人生は自由なので、そういったものから脱却して『べき論』を辞めるのが最初の一歩だと…
私はそれが答えだと考えています。
ではまた…